なにゆえにアンタルヤ《第四話 なにゆえにアンタルヤ》 ところで、私たちはイスタンブールに小さい家を持っている。 イスタンブールの住宅密集地ではどこでも見られるような、間口が狭く、壁を共有しつつ両隣にもビッシリと建物が密接しているアパルトマンである。 場所は、ドルマバフチェ宮殿やチュラーンパレスにも程近い、活気溢れる商業地区ベシクタシュ。 すぐ目の鼻の先に公園があり、坂道を3分も降りれば、ベシクタシュの一番賑わった通りに突き当たる。パン屋、八百屋、酒屋、乾物屋、肉屋、小さいが一通りのものが揃うマーケット、バルック・パザール(魚と青物の市場)、ケバブ屋、チョルバ(スープ)屋、ロカンタ(大衆食堂)、MADO(アイスクリーム・チェーン)にスィミット・サラユ(スィミットというゴマ付きパンの専門店)、本屋、CDショップ、ブティックや靴屋などの入るショッピングセンター・・・・などなど、日常生活に必要なほとんどのものが、ぐるりと一周している間に揃ってしまう、そんな便利な街である。 たくさんの買い物袋を提げて心臓破りの坂を上るのはなかなか大変だが、なにしろ立地としては便利この上ない。バス会社のオフィスも大通りに並んでいるし、長距離バスでアナトリア方面に出かける場合も、行きはセルヴィス(サービスバス)でオトガルから出発だが、帰りはボスフォラス大橋を渡り終わって高速を降りると、もうベシクタシュ。オトガルを待たずとも、自宅から目と鼻の先でバスを降りられる。 しかし、いかんせん狭すぎる。 我が家の上下には、もちろん何十年もそこで生活している家族が住んでいたが、こんな狭いところで、どうやって家族4人、5人が暮らせるのだろう、と心配になるほどの狭さなのだ。 どう転んでも、夫が出張で滞在する時、家族でトルコにやってくる時、ホテル代わりに利用する程度の仮住まいに過ぎなかった。 いや、いざ住むと決めれば、そんな狭い家は賃貸に出し、広い家を購入するという手もあったのだが、迷う前にあっさりアンタルヤに決まってしまったのだった。 「イスタンブールじゃ、いやでしょう?」 夫はイスタンブールの喧騒や混雑、空気の悪さ、住宅密集ぶりを挙げて、子供の養育、教育にはあまり好ましくないことをほのめかした。 私は私で、冬のイスタンブールの劣悪な環境を思い出していた。雨が降れば道路はどぶ川のようになり、雪が降った後は、舗装のよくない道ともなれば、解けた雪と泥がまざってドロドロのみぞれ状になる。坂道で足を滑らせ、靴をビショ濡れにさせながら、また足をかじかませながら歩くあの辛さ。 古都イスタンブールが持つ歴史的重層性、地理的複雑さ、文明的混交、文化的芳香、ダイナミズム・・・本物のコスモポリスだけに許された魅力は、誰の心をも揺さぶらずにはおかないものだ。 外人居留区の面影残るベイヨール地区のヨーロッパ的佇まいに憧れ、ガラタ橋を渡るたび、金閣湾の対岸に開ける素晴らしい景観に、戦慄が走るほどの感動をおぼえる。ボスフォラス海峡をはさんで見渡せる、段丘上に形成された密集した市街の眺めさえが美しい。 もし私が独身であったなら、あるいは、私たち夫婦がまだ子供のいない若い夫婦であったなら、是が非でもイスタンブールに住みたいと熱望するかもしれない。少なくとも私はそうだ。 が、とうぶん子育てを最優先課題とした私たち夫婦には、そんなイスタンブールの魅力も猫に小判、とまではいわないが、やはり必要性のないものだった。 私たちは、家族の誰にも相談せず、一貫して自己中心的に物事を決めていった。 もちろん、夫の田舎で、兄妹たちの近くで、母と同居するなど、露ほども考えなかった。 20年近くを日本で過ごし、家族の中で一番の稼ぎ頭として、夫は、過去何度となく家族に援助をしてきたという。しかし、何をしてやっても、今まで「一度たりと」礼を言われたことがない、誰も有り難がらない、皆んな自分のことしか考えてない、と夫はしばしば愚痴をこぼした。 それどころか、援助を断ると、逆恨みするきょうだいも出る有様だった。 一番いいのは、離れて住むことである。それでも、一人暮らしで足腰の弱った母に、時々は元気な顔を見せに行けるくらいの近さは必要だった。 アンタルヤはその点でも条件にかなった。車で約12時間。家族が気軽に遊びに来れる距離ではなかった。私たちに都合のいいときだけ、こちらから出向けばよかった。 今やすっかり日本人化してしまった夫にとっては、1年に1~2回の里帰りで十分だったのだ。 つづく ジャンル別一覧
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